昔、30年以上も前になるか、娘が保育園に通っていた頃の話。 近所のJRアパートに住んでいたママ友と一緒に眼科病院へ通っていた時期があった。 そのまま友は娘の保育園の友人で、たまたま私と同じ眼科病院へ通っていたという事で、私は通院の前日にそのアパートへ行き、診察券を渡しておいた。 その理由は、ご主人がJRに勤めているので、出社する時に私たちの診察券を受付まで入れに、わざわざ病院まで立ち寄ってくれたからだった。それから出社していたのだ。決して勤務地がその病院に近い訳ではなかったのに。実にありがたく、助かった。 おかげで診察番号もいつも一桁の数字だったので、私とそのママ友が病院に着くころには座ったらすぐに呼んでもらえたくらいのスピードで診察が受けられた。 その後私たちは二人でゆっくりとランチしたり、ショッピングしたりして、有意義で楽しい時間を過ごさせてもらっていた。 だがそんな幸せな時間は長くはなく、そのママ友の家族は別の場所に一戸建ての家を造った為、引っ越して行った。
ああ、何とも淋しいやら、今まで助かっていた分、自分でやっていかないといけないので(それが当り前だが)、しばらくはガンバル意識で臨んだ事を覚えている。 それ以降はそのママ友とも会う機会はなくなり、元気でいるかと思い浮かべるくらいとなった。
私はあの頃を挟んで、眼科病院へ40年以上も通っているので、様々な変遷が思い浮かぶ。 変わらないのは、ずっと国鉄、JRの電車の世話になっている事だ。その間には独りで通えたのが次第にできなくなり、母と一緒に、または友人に連れて行ってもらったり、そして結婚し、子供が生まれ、再度また目の手術で入院し、夫の車での送迎となり、今に至っている。実に長かった。あとどれくらい続けないといけないのだろう。 死ぬまで通院し、薬を処方してもらい、目薬を差し、飲み薬を服用する。 全盲なのだから、もう辞めてもいいと思うのだが、なかなか自分から辞める事は難しい。 これも運命かと思っている。
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Date: 2021/04/22(木)
No.2180
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