私が利用している駅のホームは国鉄時代から全く変わっていない。 あえて言えば、ホームの真ん中辺りにエレベーターとエスカレーター付きの階段ができた事かな。 駅舎はすっかり木製からモダンなコンクリート造りに代わったが、頭の中では容易に昔の駅舎からホームへとつながる階段通路が浮かんでくる。案内板に「ホームえつながる…」と書いてあったあれである。 ホームはいわゆる「島型」と言って、両サイドに上下の線路が通っていて、上りと下りの電車が両サイドから順次発着するのだ。ホームの東側が上りで、西側が下りの電車となっている。そして東側には大規模な、貨物列車のポイント切り替え用の線路がいくつも並び、壮大な景色となっている。 国鉄の時代は貨物の利用も盛んだったが、次第に物流の手段が移り変わってきた為、この壮大な貨物操作場の利用率もかつてのにぎわいは見られなくなっているかも知れない。 もっと昔はSL機関車を操作させるターンテーブル(と言うのか?)があって、汽車の先頭を転換させ、進んできた方向へまた戻って行ったと聞いている。 景色も音も、またそこで働く人々の数も大きく変わってきている。 このホームにかつては蒸気機関車が走っていたというが、実際私が乗ったり見たりしたのだろうか。記憶が定かではないのだ。 SLが発車する時のぼーっと鳴らす汽笛の音や、大きな動輪が「ガッタン、ゴットン」と動き出す瞬間をこの目で見たのか、はっきりとは覚えていない。 そういうシーンはテレビや映画でもよく見たものだから、本当の記憶があいまいなのである。 はっきりと記憶にあるのはオレンジ色とグリーンのツートンカラーの車両、「湘南電車」と言っていたものにはよく乗った。通学、通勤によく使ったのだ。 あとはディーゼルで牽引する客車で、車体はあずき色だったと思う。それにも乗った記憶がある。車内の椅子は木製で、背もたれが直角で、座りづらかった事を覚えている。 たまに家族旅行などで特急電車に乗ると、開閉可能な窓から駅弁を買うのが楽しくて、旅のいい思い出となっている。 遠方で暮らす母方の祖父母の家に家族でよく遊びに行ったものだった。 母は海水浴へも電車で連れて行ってくれた。我が家には車がなかったので、もっぱら交通手段は電車だった。私と兄が幼かった頃は母も若く、大荷物でも平気?でかついで持って行った。本当に電車はよく使ったものだ。
私が若かった頃は、つまり国鉄時代は作業員や駅員が沢山いた。 ホームにも駅員の姿は何人もいた。 今は、誰もいない。 利用客もあまり多くない駅なので、その周辺の商店のにぎわいも次第に火が消えたように静かになって行った。 駅はその市の顔とも言える。それが閑散としていると、その地域全体の活力も乏しいように思えてくる。 市内の人口増加もあまり変わらず、若い人よりも高齢者の方が断然多い。 人影をあまり見ない現実は、昔のシックな木製の駅舎からコンクリートの駅舎に変わっても、余計に淋しさを強調させているような、そんな気持ちになってくる。 昨年からのコロナ災いで人の顔から笑みが消え、人と人の集いも少なくなり、活気がほとんど消え失せている街並み。 昔を思い出すノスタルジアだけが救いなのだろうか。
|
Date: 2021/04/07(水)
No.2165
|
|