*--ありんこDiary--*

ICT機器活用サークル「ありんこ」のメンバーブログです。
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conkoのつぎはぎ傘屋さんVol.25懐かしきあの頃  2020/06/25(木)
conkoのつぎはぎ傘屋さんVol.24ピアノってすごい!  2020/06/24(水)
conkoのつぎはぎ傘屋さんVol.23人が求めあうもの  2020/06/23(火)



conkoのつぎはぎ傘屋さんVol.25懐かしきあの頃
現在の私は視力を失ってから10年以上は経つので、“見えない”事にはもう慣れました。見えない事への不自由さは別ですが。
主人はテレビが好きで、ほとんど一日中スイッチオンとなっています。でも私には見えません。リビングに置いてあるテレビがいつもついているので、つまりは私の耳にも常に音が届いています。パソコンをイヤホンで聞いている時などは邪魔くさいのですが、興味のある番組の音が聞こえてくると、途端に私はテレビの近くに座り込んで、必死になって音を聞きます。
つい先ほども主人が録画しておいた米国放送の刑事ドラマの、聞きなれた音楽が流れてきたので、私はパソコンを止めて、テレビの前に座り込みました。
いつも風采が上がらない、疲れたコートを羽織り、寝ぼけたような声でしゃべる刑事。
もう皆さんはご承知の事と思いますが、私はあのドラマが大好きです。
今まで何度も再放送を見てきました。
ドラマの声優も好きで、キャラクターにしっかりとハマった人を起用しているんだと感心しました。でも、今日見たドラマは不思議な事にあるシーンでの声優がいつもの人と違っていました。あるワンカットだけですが。刑事本人と犯人役の女性の声も本のワンシーンだけ違っていました。
ちょっとだけ不自然さを感じました。製作上の都合でしょうから、仕方ないですが。

もう40年か50年も前になるのでしょうか、NHK TVで本放送を見ていた頃。私は本当に視る事ができました。
毎週の放映を楽しみにしていました。それの本も全巻買い揃えました。
あの頃は本の文字もコンタクトレンズをつければ、普通に読めたので、通勤帰りの電車の中で読んだり、喫茶店で読んだり、また自宅の部屋でゆっくり読んだりしていました。

あの頃の私はこの刑事ドラマに夢中でした。
見てくれは風采が上がらなくても、最期にパシッと犯人を言い当てるところが小気味よかったのでしょうか、とても爽やかな気分で観終わったり、読み終えたりしていました。
さらに興味が進み、真っ白なページで製本されている、“無地の本”を買い、自分でその刑事を登場させる書下ろしの真似事をしました。
ちょっとした作家気分になっていました。もちろんその愚策は後に捨てましたが。
ドラマの本も全巻揃えるまでにはかなりの期間がかかりましたが、根気よく、かつ楽しみながら増やしていきました。
いつだったか、勤めからの帰りに書店に立ち寄った時、店に入る手前の通路の所で「あるよ、あるよ。」というピンとくるものを感じました。
それは決して勘違いなのではなく、本当にそう感じたのでした。
それで、迷いもなく書店に入り、文庫本が並んでいる棚を見ましたら、本当に探しているタイトルがあったのです。
その時の驚きと感激は今でも覚えています。はっきりと。
ああ、あの頃が懐かしいです。ある意味、私の青春時代でした。
文学書などは苦手でしたが、気軽に取り組めるような作品は読んでいました。
それが今は形こそ変わりましたが、耳で聞くデイジー図書で楽しませてもらっています。
本当にありがたい話です。
人は他社から与えられる物から「共感」と「刺激」を感じる時、至福の思いに浸れるのでしょうね。
いつか私も、それを人に提供できる力をつけたいと思っています。
おかげ様で、今日見た、米国放送の刑事ドラマから若い頃の自分にタイムスリップできました。ふーっ。
Date: 2020/06/25(木) No.1810


conkoのつぎはぎ傘屋さんVol.24ピアノってすごい!
視覚障害者が図書を楽しむために、音声訳ボランティアの人が作ってくれるデイジー版。
それが先日我が家に届き、最初に聞いて、内容がとても面白かったので思わず二度も聞きました。
ある事がきっかけで、ピアノ調律師になりたくて専門学校を出て、見事楽器店に就職した青年の話でした。

私はピアノは好きで、あの響きを聞きながら過ごすのはとても心地よいものを感じます。
我が家にも娘にと、私の父が買ったアップライトピアノがあります。
弾き手がいなくなった今もなお、リビングの隣の部屋にでん!と安置されています。
場所を取り、誰も弾かないピアノ。
可愛そうにとは思うけど、遠方に住む娘と孫が来た時くらいしかピアノの蓋は開けられません。
私は習った事もないので、「猫ふんじゃった」しか弾けません。
ですからもっぱらほこりを払ってきれいに拭き清めるくらいしかやっていません。それもほんのたまにしか。

今回のデイジーを聞いて、調律というものを始めて深く知り、
また調律が終わったら、必ず依頼客に試し弾きをさせている事に驚きを感じたほどです。
普通はそうしているのでしょうか。
我が家にずっと来てくれていた調律師は一度もなかったです。もちろん娘が学校に行っている時間帯に来るので、試し弾きができなかったというのが本当なのでしょうが。
「どんな音色を希望されますか?」とも聞かれませんでした。
そうか、本来は調律師たちは依頼客の望む音を作り出しているんだ。柔らかい音。明るい音。丸みを帯びた音など…。
その希望に合った音色に仕上がったかどうかを尋ねてから帰って行ったのでしょう。
私はふと思いました。
デイジーの中にすっぽりと入りこんで、その世界を味わっている間、ピアノも絵画も一緒だなって。絵の世界では例え同じ絵具と筆とキャンバスを与えられても、描き手によって作品は全く違うものに仕上がるものです。
ピアノも依頼者が具体的に音色を望まなかったら、基準に沿った画一的な仕上がりにするのかしらと。何一つ具体的な音色を希望できなかった私の前で、来ていた調律師はどんな仕上がりで帰って行ったのでしょう。
もう来なくなった今となっては何もわかりません。ただほこりが積もったピアノと化しているだけで、可哀そうだけど。

ピアノはとても繊細な楽器なのですね。楽器はすべて繊細化も知れませんが、ピアノほどのものはないでしょう。わからない事を言ってすみません。

調律師によっても鍵盤から奏でる音色は違ってきますし、弾き手によっても、たとえ同じピアノでも音色は違ってきます。
力強く弾けば高く明るい音色に聞こえるのだと、小説の中で言っていました。
基準音は、88ある中の、左から49番目の「ラ」がそうであり、周波数は440か442ヘルツに合わせてあるそうです。
現在ではそうでも、モーツァルトの時代は425くらい(だったかな?)に合わせてあったそうで、時代と共にだんだん基準音が高く設定されるようになってきているそうです。
人の耳が違ってきたのでしょうか。
現在のオーケストラのオーボエが444ヘルツになっているので、ピアノもそれに合わせた、442が基準らしいです。
へえー。読んでいてとても勉強になりました。
ピアノは座る椅子の高さ一つで音が変わるとも書いてありました。
弾き手が座り、肘を曲げる角度によって鍵盤を弾く力が微妙に違ってきます。
だから連弾をする時など、椅子の高さと弾き手の納得度がぴったり合わないと、奏でる音色にも微妙な影響が出てくるのでしょう。

この本は読んでいて本当に面白かったです。私の好きなジャンルの事がたっぷりと、深く書いてあったので、余計にフィットしたのでしょうか。
この本がまるでピアノそのもののように、私の心を打ちました。
この作品そのものが、ピアノ協奏曲でもあるかのように、静かなプロローグから始まり、クライマックスを超え、エピローグに到達する。とてつもない曲を聴き終えたような満足感でいっぱいになりました。
書き手が読み手にこれだけのものを与えてくれる小説。すごい力があるのだなと思いました。こういうものが書けるようになるといいなとも思いました。
青年は努力して調律師になりました。でも才能が例えなくても、根気があれば実力派身に着くとも書いてありました。
真実だなと思いました。
Date: 2020/06/24(水) No.1809


conkoのつぎはぎ傘屋さんVol.23人が求めあうもの
6月に入ってからと言うものは、三週間あまりが経ち、やっと私たちの暮らしのリズムが“人と関わり合える”ようになりました。それもいつものメンバーと。
やはり、こうでなくっちゃね。
ずっと家族だけと関わってきたので、また違った安心感がより色濃く感じられます。
仕事であれ、学校であれ、趣味の集いであれ、人と関わり合う事はとても大切で、潤いの元になっているんですね。
そりゃあ、いい事ばかりではないでしょうが、折り合わない人とまた関わっていかないといけない、という人もいるかも知れません。
それはステイホームの支持が出ていた頃でも、家族間で暴力やいじめが発生して、苦痛の日々を送っている人がいるという話も聞きました。
どういった環境になっても不具合を起こす人間関係はあるのですね。大変ですが、やはり人は人を恋しく思うのです。誰かと会いたいのです。共に過ごしたいのです。

今日はパソコン勉強会に参加したのですが、これも約17年通っています。もうしっかりとコミュニティーは出来上がっています。とてもよい雰囲気です。
そこへ通うにも、私は移動手段を人の力に甘えているのです。
そのサポートが、来月からある事情で受けられなくなるので、私は市内の事業所に依頼する事になります。
白杖歩行訓練を受けて、我が家から勉強会の会場まで歩いて行く事も考えました。
でもその方法でのドアツードアは不安と緊張の塊になるに違いありません。
親切に解除してくれるJRのスタッフに頼み、バスに乗って、下車した後はひたすら杖先で会場の入り口までたどって行く。
そういう自分を想像した途端、「ダメだ、こりゃあ。」と思ってしまいました。
私は根性がないのでしょうか。甘えん坊で、人に頼る事しか考えていないのでしょうか。

答は「イエス」です。情けない事に。
ですから、今まで受けたサポートがどれだけありがたいものだったのか。
送迎以外の事でも、沢山お世話になりましたし、車中のおしゃべりもとても楽しかったのです。得るものが沢山ありました。
それらともう、さようならです。
何でも始まりがあれば終わりは来るものです。いつかきっと。
それがたまたま「今」なのでしょう。
淋しくてたまりません。
勉強会からの帰り、マンションの階段の上り口まで解除してもらい、お礼を告げました。
心を込めて握手をしました。
その人は「これから何かあったらいつでも電話して下さいね。」と言ってくれました。
それが本当に可能ならば助かりますが、私はその人の最大の挨拶言葉として受け取りました。最後の最後まで本当に親切にしてもらい、ありがたいばかりです。
今まで実に沢山お世話になりました。感謝しています。
どうぞお元気で!!
これをその人にたむけました。
Date: 2020/06/23(火) No.1808

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このプログラムは上記のCGIを改造したものです。