*--ありんこDiary--*

ICT機器活用サークル「ありんこ」のメンバーブログです。
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conkoのオクトーバーポエムVol.28ロストコース  2019/10/28(月)
conkoのオクトーバーポエムVol.27 Happy birthday to me!  2019/10/27(日)
conkoのオクトーバーポエムVol.26命の尊厳と障害への戸惑い  2019/10/26(土)



conkoのオクトーバーポエムVol.28ロストコース
今日は朝から晴天で、午前に予定されている白杖歩行訓練にはもってこいの空気が流れていた。いつものように10時ジャストに訓練士が我が家の玄関に訪れ、手荷物を入り口付近に置き、JR駅まで進んで行った。
交番まではどうにか慣れてきたし、その建物に沿っての移動方法もだんだんとわかってきたと思う。

今回は駅のロータリーへは進まず、南へ折れた所にある郵便局まで行った。
このコースもちょっと慣れてきた。
そこには、歩道に全くない点字ブロックが敷地内へ入る所から建物の入り口までを誘導するかのように敷設してあった。
だが郵便局内には敷設していなかった。
訓練士いわく、「歩道にこそ必要な点字ブロックがなくて、敷地内に短く敷設してあり、また建物内にはないという、ちょっとおかしな措置を施しているんですね。」と。

思うに、これはきっと目の見える職員だけで携わった事なのかも知れない。視覚障害者にしかわかり得ない、微妙な不便さが伝わっていないような気がした。
実際のところはわからないから、あまり無責任な事は言えないが。
何だかんだと訓練士と意見交換をしながら、建物から出て、また来た道を戻る事にした。

歩道などを歩く時は、あまり神経質になり過ぎず、建物やフェンスを細かくたどって行く必要もない。まっすぐに歩いているかどうかを確かめる為に、つまり進行方向に対して微調整をする為に、杖先でトン、トンと突いて行けばよいと言われる。
また、曲がり角を正しく捉える為に「だいたいこの辺かな?」と健闘をつけながらトン、トンと突いていくとよいそうだ。
これらは頭ではわかっているが、まだ完全には浸み込んでいない。それに私はどうしても、右へ曲がる角がこの先にあるとわかっている場合、体が右へ斜めに向きながら歩いているらしい。
ヘンな癖がついてしまったか?
さらに言うと、杖は自分の体の真ん中に構えて、すっと腕を伸ばしてトン、トンと突いて行くのだが、つい、杖を持っている左側へ寄せてしまう。そちらの方が楽だからと訓練士いわく。また杖と足の出すリズムが合わず、右へ杖を振ったら左足を前に出すと、自然に歩けるはずなのに、その逆をやってしまう。
ただ依然と違うのは、これらが全て「直さなくては…。」と思えるようになった事かも知れない。

帰りの道すがら、訓練士といろんな話をして杖を進めて言ったのだが、話に夢中になり過ぎて、途中の大切なポイントを二つも逃してしまった。
こりゃいかん!下手をすると命に係わる危険とぶつかるかも知れないのだ。慣れた頃こそ、油断しないように、気を引き締めないといけないな。

こうして歩行訓練を続けていくと、少しずつ、独歩の楽しさも感じるようになった。もちろん途中からは必ず友人と合流して目的地まで行くのだが。
完璧に独歩はまだ先かなあ。私は甘ちゃんなので、緊張して目的を果たすより、楽しみながら果たしたいと考えてしまう。
なかなか自立した障害者にはなれないな。
だが、ほんのちょっぴりだけ、夫への負担は減った蚊も??
「さあね?」と言われそう!
Date: 2019/10/28(月) No.1385


conkoのオクトーバーポエムVol.27 Happy birthday to me!
ワーイ!今日はconkoの誕生日。65歳になってしまった。
これで高齢者の仲間入りができる。
障害者で高齢者。大変なものだ。皆様に宜しくと乞うしかない!
健康で、目が悪い以外は何でも行動できる私。好きな物には猛進し、周囲の迷惑が見えなくなるタイプ。

今日なども合唱団の練習日だったが、私の誕生日を知っている団員が休憩時間に指導者に伝えたのか、後半の練習に入る前に「今日は何と団長さんの誕生日という事で、皆さん、是非“Happy Birthday to You”を歌いましょう。」と言ってもらえた♪
「えーっ?」と言いながら、私は照れくさく、その好意に甘えた。
「前にで出なくっちゃ!」という誰かの声に押されるように私はみんなの前に立った。
すると団員の中から「もう一人います!」という声が上がり、アルトのメンバーで同じ誕生日の人がいたのだ。
それも何という偶然で、同じ午年!
彼女は一回りお姉さんだったので、「喜寿を迎えるんです。」と挨拶していた。

とてもうれしい、粋な計らいに私とそのお姉さんも大喜び。
「一言どうぞ」という団員からのコールに、私とお姉さんとでお礼を伝え、席に戻った。
指導者も素敵な声で一緒にバースデーソングを歌ってくれた。最高だった。

家に帰ったら夫は何の晩御飯も作っていない。だが…。
「寿司でも取れよ。」
この言葉は彼の最高のプレゼントだった。
そして即、私の大好きな唐揚げを作ってくれた。そして赤ワインで祝ってくれた。
「ねえ、乾杯しようよ。」という私のリクエストに夫は乱暴にグラスを当てて終わったが、実に彼らしくて、うれしかった。

馴染みの寿司屋さんにオーダーする際、いつもとは違う上手死を依頼した。そして「今日は誕生日なんです。だから上手死を。」と余計な事を言って電話を切った。
これは素直にうれしくて行った事だが、要は何かを期待しての、意地汚い要求だったかも知れない。
承知して言ったのかな。私のいじましさから?
そのおかげ?で、オーダー以外に一品プラスで持ってきてくれた。
ワカサギのマリネだった。ごちそうさま。

私はもはや若くはない。何かをごまかしながら暮らす事もできなくなった。
年に合った生き方を、つまり責任と自覚をもっと強くして行かないと、ただの用なしのばあさんになるだけだ。
これからは益々自分を律して生きていかないといけない。
そう厳しく感じていた時、デリバリーの人が来て小荷物を届けてくれた。
娘から健康器具がプレゼントとして送られてきたのだ。

それに対し、お礼の電話をしようと、携帯に手を伸ばそうとした瞬間、ビービーと電話が鳴った。
娘からだった。誕生日おめでとうと、また何やら久しぶりにおしゃべりをした。

そして今日のバースデーソングをプレゼントするよう指導者に申し出てくれた団員からもメールが届いていた。
市外に住む友人からも「ブログを読んでいるよ。」との言葉を添えておめでとうメールを送ってくれた。
今日は本当にハッピーな一日だった。
母も気をかけてくれたし。本当に皆さんありがとう!!
これからも頑張って生きるエネルギーを沢山もらえた気がした。イイエーイ!
Date: 2019/10/27(日) No.1384


conkoのオクトーバーポエムVol.26命の尊厳と障害への戸惑い
ネットのニュースを毎日、それも日に何度もチェックしている。
私は紙に印刷された新聞や雑誌の記事、イラストや写真も見えないから、ネットニュースは大切な情報ゲット法である。
実に興味深いものや心が熱くなるようなうれしい話題。またその真逆の悲しく恐ろしい話など、多種多様に揃っている。

今朝、深く考えさせられるニュースと出会った。
ポルトガルで目と鼻のない顔の赤ちゃんが生まれていたという。その赤ちゃんの母親から出産させた産科医が職務怠慢で逮捕されたとか何とか。
胎児であるうちにしっかりとした検査や対処をしてこなかったという理由からなのだろうか。
いずれにしてもその赤ちゃんは病院にずっといる。生きている。
これからをどうして生き抜いていくのだろう。他人ながら、気になって仕方がない。

人は親を選んで生まれる事はできない。親も選んで子を産む事はできない。
あくまでもめぐり合わせである。
例え何らかの問題をはらんだ赤ちゃんが生まれてこようと、その子の人生を否定したり、止めたりはできない。
長い人生の中で「産まなければよかった。」とか「生まれてこなければよかった。」とか、親も子も互いに思う瞬間はあると思う。
想像を絶する生活が待っていると思う。
だが、互いの暮らしが長く成ればなるほど、「大変」だけでは済まない事もある。またその逆で、「この子がいてよかった。」と思えるように変わっていくとも聞いた。
人はやはりその質が成長していくものなのかも知れない。そのスピードと程度は個人差があるとは言え。

両親の遺伝子異常で例え奇形児が生まれても、のちに障害者としての生き方を余儀なしとされても、人はたくましさを要求される。
国を問わず、現実に指が6本ある手の子供がいるとか、両手両足が、何らかの原因で欠損して生まれてきた子供など。もちろん数は少ないとは言え、実際にいる。生きている。
その人たちは普通の生活を送っている。自分なりに工夫しながら、他者からの愛情とサポートを得ながら暮らしている。
そういった環境で育った人たちの共通する意識は“みんなと一緒にいて幸せ”と言う思いが生まれてくる。
これを「幸せの連鎖」と言うのだろうか、私も同感である。体に起きている障害の程度こそ人それぞれだが、思う事はかなり共通しているのではないだろうか。
ただ、「命の尊厳」をひたすら世に問いかけ、その意識を死守しなければ…と思いつめるのも、時と場合によってはつらく苦しいだけではないだろうか。
本人の意識で判断し、命の続行の可否を選べる余裕も必要では、と考えている私である。
「幸せの連鎖」が「不幸の連鎖」に変化し、半永久的に続くのであれば、選ぶだけの余裕を認めて欲しい。だがそれは自殺を擁護したり、勧めたりするものではない。それとは別だ。かと言って遺伝子検査の段階で何らかの問題が発覚したとして、またそれが専門医から厳しい選択を突き詰められたとしても、両親がどう判断しようと、罪悪感にさいなまれるような社会にだけはなって欲しくない。
この私の考えには賛否両論あると思う。
実に難しい話で、こんなconkoブログの上で答えを出そうとは思わない。いや、出してはいけないと思う。だが問題提起はできると思う。

皆さんはどう思われますか?
命の選択につながる事です。
Date: 2019/10/26(土) No.1383

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このプログラムは上記のCGIを改造したものです。