*--ありんこDiary--*

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conkoの「秋の日のビオロン」トークVol.24文芸、絵画を理解するという事は  2019/09/24(火)
conkoの「秋の日のビオロン」トークVol.23紛失物  2019/09/23(月)
conkoの「秋の日のビオロン」トークVol.22ビデオの進化に絶賛!  2019/09/22(日)



conkoの「秋の日のビオロン」トークVol.24文芸、絵画を理解するという事は
秋はとかく文学、芸術を味わうのに最も適した季節と言われている。
正直、そう言われてきたからそうなのだと思っているが、根拠はわからない。
秋は気温も空気も穏やかで、静かな夜も長く、何かをするにはもってこいなのかも知れない。だから昔から読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋、そして食欲の秋、と言うのだろうか。もう一つ、行楽の秋も言われてきた。
…ああ、しみじみ、私には縁がないなあ。すべての秋が。

conkoばあばにはどんな秋がふさわしいのか。「冬を感じ始める秋」かな。

そんな詮索はやめて、別な話。
私はたまたま手元に届いているデイジー図書をずっと聞いている。
これは、市内の音訳ボランティアの人たちが作成し、視覚障害者に郵送しているもので、リクエストに応じて応えてくれるのだ。
対面朗読とは違い、いつでも自分の時間が空いた時に聞けるメリットがある。

今回の本の内容は、二人の作家が一つの洋書を翻訳し、互いの微妙な表現の違いを対話形式で語っているのだ。読む洋書はいくつかあり、それらを翻訳し合っては、微妙な表現の違いに同意したり、ズレを尊重したりしていた。
実におもしろい。
まず、洋書の作家が使った単語にはちゃんと意図が見られるので、翻訳家はそれを忠実に日本語に変えるべきだと言っている。それは二人の作家の共通する所ではあるが、表現の方法が見事に違うのだ。
「ふーん、そういうものなんだ。」と改めて思った。
今迄翻訳ものを読んでいてもそこまで意識しながら日本の文章を読み進めた事がなかったので、この作家同士の微妙な捉え方をもっと大切に感じ取るべきだと思った。
だがなかなかそんな能力は私にはない。
つくづく、芸術を味わう事はできても、理解するという事は簡単ではないなと悟った。

これは文学だけではなく、絵画でも同じかも知れない。
作者の意図するものをどれだけ感じ取って絵を観てきただろうか、と。あくまでも「この私のリミット」でしか受け取れなかったと思う。
世界的に有名な「モナリザのほほえみ」も、あまりにも沢山の解説を聞いてきただけに、自分自身での理解はできなかった。微笑んで居うる人物の性格や感情など、背景なども想像は難しかった。
ただ「ふーん。」と眺めただけだと記憶している。それもレプリカだったし。

今聞いているデイジー図書は聞き進めていくうちに、ある俳優も自分で作品を翻訳して、役作りに入る人もいると知り、なんでも世界って深いなあと感心した。
私は昔から言葉を駆使して文を書き、作品に仕上げていくという作業は苦手であった。
テクニックも何もない、ふっと沸き起こった情景や人物をイメージしていくと、その人が勝手に台詞を言うので、それを書けばよかった。
そんなレベルで書いてきたので、何というか、先に述べた、二人の翻訳家のような語彙に対する能力もセンスもなくてもできた。
だが、それでは浅すぎると感じた。思うに、その朝さそのものがconkoの文章なのだ。

…と開き直ってみたが、ダメですかね。
これからもconkoは書いていきます。読み終えて理解に苦しむというような、深い文章は書けないので、安心してブログに立ち寄って下さい。
読み終わっても安ど感は得られず、呆れてアラドッカーンとなるかも知れませんが。
ではでは、ヨロシクです。
Date: 2019/09/24(火) No.1344


conkoの「秋の日のビオロン」トークVol.23紛失物
台風17号は午後になってから温帯低気圧に変化したものの、しばらくは勢力を保ったまま日本列島を通り過ぎて行った。
自然の猛威はどうしようもない。人間はそれを傍観するしかない。
今回のものは、たまたま私たちの住む地域への影響は出なかった。おかげ様でというか、今日の未明からは強風が窓ガラスを打ち付けている音は聞こえたが、それが昨日出なくてよかったと思っている。

昨日は合唱の練習がある例会だった。会場も少々遠く、電車とバスを乗り換えて行った。
団員もご存じ、高齢者ばかりで、何かが起きたら大変である。
それが本当におかげさまで、昨日は穏やかな日だった。ただ、練習が終わり、帰途に就く段階になった時、けっこうな雨が降ってきた。
各団員はそれぞれにペアを組み、視覚障害者と健常者で、傘を差しながら家に向かったのだろうと思う。
私はさらにおかげさまで、いつものJRには夫の車が待っていてくれる。いつも私とペアで歩いてくれる友人は家までを自転車で往復しているのだ。
そしてこの雨である。夫は車で送って行くから、と伝えていたが、友人は遠慮して自転車での帰宅を選んだ。彼女にはいつも申し訳ないと思っている。感謝しかない。

今日のような天気が昨日出なくてよかったと本当に思った。
たった一つ、気がかりな事を除けば。
昨日の会場からはまず団員そろってバスに乗り、電車の総合駅へ向かった。その車中で、突然一人の女性団員が「ない、ない!家の鍵がない!」と言い出したのだ。
彼女は全盲で、一緒にいた団員が座席の周りやバッグの中などを調べていたが、出てこなかった。
結局、彼女たちは一旦バスを降りて先ほど乗った場所へ戻り、落ち着いて探す事にすると言っていた。二人は我々に声をかけて降りて行った。
その後、私も気になって仕方がなく、家に着いてから電話してみた。
だがつながらず、私の想像はどんどん悪い方へ行き、鍵がないから家にも入れず、どこかで困り果てているのではないか、と考え込んでしまった。
結局昨日のうちには返事が聞けず、今朝又電話をかけてみた。
サポートしていた団員は、鍵は出てこなかったけど、たまたま無施錠の窓がある事を思い出し、そこから家に入って事なきを得たそうだ。家には合いカギがあるので、今後もそれを使うと本人は言っていたと話してくれた。
私は思わず力が抜けた。ほっとしたのだ。その後、本人からも電話があった。事の次第を教えてくれた。
「おおごとにならなくてよかったよ。」と私は伝えた。
誰にでもある「失くしもの」だ。
私も今迄いくつ、失くしてきた事か。
落とし物など、届けてくれた人のおかげで再会できた時の喜びは大きい。
だがそれが味わえない時もあった。
これからは加齢と共に、益々「紛失物」が増えるかも知れない。
「私はだあれ?ここはどこ?」とならないようにしたいものだ。
Date: 2019/09/23(月) No.1342

No.1343 コバちゃん 2019/09/23/23:23:54
私事 又台風がお見えになり 昨日 少し?風が強く
菊 の鉢が風で倒れるかもしれないので(外に置いてある)

背の高いのでけ 鉢事倒し 小さいのはそのまま
たまたま 仲間と 【奈良】のほうに遊び 台風が 風が 気になって仕方が

なかった、幸い静かに 通り過ぎてくれ たすかった。
菊も一晩」寝かせておくと 頭がすぐ起きます、上を見たいのだなと思う

毎年 台風には 悩まされます それでも飽きずに触っている自分です....


No.1345 conko 2019/09/25/05:23:23
こばちゃん、いつもコメントをありがとうね!!普段なかなかおしゃべりできなくてもこうして「言葉だけ」で会話するのもいいなって思います。
菊を育てて長年のこばちゃん。心を込めて打ち込むものがあるってのは幸せだよね。
菊の方も、ちゃんとあなたの気持ちを受け取っていると思います。


conkoの「秋の日のビオロン」トークVol.22ビデオの進化に絶賛!
今朝のTVでおもしろい物を見た。
ビジネスマンに人気があると思われるその番組で店舗の商品棚にあるディスプレイの動画編集をしている企業が紹介されていた。
この番組の趣旨は現在もうかっている企業などが出演し、その手段などを視聴者に見せているのだ。
「あ、その番組知ってるよ。」という人も多いと思う。ただし私たちの地域では日曜の朝に放映されているが、首都圏では違う曜日のような気がする。

さてそれはよいとして、番組の中で担当のスタッフが商品棚に置くディスプレイの説明をしていたが、とても興味深いもので、いかに短時間で客の心を掴むのかを真剣に考えて、動画の制作や編集を行なっているのがわかった。

単純に言って、商品の案内には以下のような変遷がある。
昔は生の店員が生の声で実際の具材を使って、「味見用」の料理を見せていた。
そこへ、いい香りに誘われた客が来てはつまんで行く。
デパートの地下食品街(いわゆるデパ地下)ではよく見られた風景であった。
それが数年ご無沙汰している私には遠い記憶となり、今では全く違った方法で商品案内が為されている。
まだ記憶に浅い頃は、スーパーの食品コーナーで生肉や鮮魚を扱っている所ではイメージソングが高らかに鳴っていた。もうその売り場にいるだけで耳にタコができたほど。
それがいつの間にか消え去り、店長かバイトのお姉さんかわからないが生の声で録音されたものがエンドレスで流されていたり…。
また、ポップカードに手書きでの商品アピールをしている店もあるとか。

そして、そして行き着いたものは現在の「液晶ディスプレイ」である。
中にはセンサーで声が出たり消えたりするのもある。
ただ複雑な思いが拭えないのは、ほとんど客がいない所でもそのディスプレイの声だけがあっちから、こっちからと聞こえてくる店もあるので、不思議と言うかちょっと変な感じがするのだ。店員もレジ台にいるだけで、他には人がいない。これは特にドラッグストアなどで見受けられる風景だ。
これらの方法は人員削減や商品売り上げ増加を見込んでの対策だとは思うが。
きっと防犯カメラで店内は管理されているのだろうが、あの、人がいなくてディスプレイの声だけが響いている店を想像して欲しい。
思うに、これはゲームセンターで、あまり客がいないのに、あちこちからマシーンのものすごい音量で聞こえてくる、あの「ノイズ」に似ている。
conkoばあばがまだ小さかった頃は人と人とが不通に関わり合い、店員と客とが互いに馴染みとなり、タメグチを交わしたりしていたのに、今はその「人」がいない。
黙って店に入り、黙って商品棚の間を回り、液晶ディスプレイの声を聞き、黙ってレジに並び、商品を受け取る時に「ありがとう。」と言うのが関の山である。
人の声と言えば、せいぜいレジで「いらっしゃいませ。○○ポイントカードはお持ちですか?…はい、どうもありがとうございました。またのご来店をお待ちしております。」というセリフを聞いて帰るくらいだ。

世の中どんどん便利になり、手早く処理され、モタモタしていると他の人の迷惑となりそうであせってしまう。二度と過去には戻れないのは知っているが、このままのスピードで進んでいくと、この先どうなっていくのだろう。少し怖いような気がする。
皆さんはどうお思いですか?
Date: 2019/09/22(日) No.1340

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