昨日のブログで健康の大切さを書き、自分は大丈夫的な表現をしたばかりなのに、その後に読んだ、あるネットニュースにショックを受けた。 何故なら、いずれ自分もこの人のようになるのでは?という不安以上の、恐れに近いものを感じたからである。 記事にあった人は全盲で耳も聞こえない。ヘレンケラーと同じ状態であるそうだ。 彼女はコロナ渦の暮らしで食事もろくに取れなくなり、体を壊してしまったという。 同じ盲聾者である夫と暮らしているが、多くのヘルパーの介助を得ている。 昨年からのコロナ騒ぎで外出もままならず、他人とも会えず、次第に無気力になっていったのか、体重も激減し、気持ちもふさぎがちとなってきたらしい。 彼女を取材したレポーターの感想が述べられていた。
それを読んだ私も、光のひとすじも見えない全盲であり、かつ左の耳が難聴気味となっている。きっと高齢化によってさらに悪化すると思うが、これは医者に診てもらっても治るものではないだろう。
このような視覚障害の人たちはほどほど困っている。何しろ私たちは、触れる事で確認を取っているからだ。ソーシャルディスタンスなんか取っていたら話が通じないし、移動もできない。 私のように目が見えないだけなら、目の代わりになってくれる人の肘を掴み、一緒に歩けば問題もない。だが記事にあるような人がいたら、肘を持って一緒に歩いてもらうだけではダメで、声による会話が成り立たないのだ。
以前に聞き知った事だが、東大助教授の福島氏という盲聾者の母親が指点字と言うものを考案したそうだ。これは、手の甲を上にした盲ろう者の指を、点字タイプのキーに見立ててタッチし言葉を伝える「指点字」というコミュニケーション方法である。 これもなかなか簡単ではなさそうである。
記事の盲聾者はそれとは違う「触手話」というものを使ってコミュニケーションを図るという。盲聾者本人が手話通訳者の指や手に触れ、その形や移動のスピードで微妙な感覚を理解し合う方法らしい。
なんだか私もいずれはそういう形が必要となる気がする。 今はまだ耳が聞こえ、しゃべる事もできる。 だがさらに高齢化していくと、弱い耳がダメになっていきそうで怖い。
私が所属している障害者連合の聴覚障碍者の手話通訳者は健常者で、手話を学び活躍している。彼らとコミュニケーションを取りたいが、手話通訳のさばきが全く見えない。 私が手話を覚えて盲聾者に示したとしても、その人からのお返しの手話が理解できないのだ。ましてや触手話など、難しそうで大変だ。視覚障害者用の点字さえスラスラとは読めない私である。 今回のコロナでいろいろな事が見えてきたような気がする。我々にとって大切なものが今まで以上に複雑だという事がわかった。 対応の工夫が期待される。
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Date: 2021/02/21(日)
No.2090
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