*--ありんこDiary--*

ICT機器活用サークル「ありんこ」のメンバーブログです。
閲覧はどなたでも出来ます。


conkoの「すぐそこにいる私かも…」  2021/02/21(日)
conkoの「健康の大切さ」  2021/02/20(土)
conkoの「まるで湯あがりのような気分」  2021/02/19(金)



conkoの「すぐそこにいる私かも…」
昨日のブログで健康の大切さを書き、自分は大丈夫的な表現をしたばかりなのに、その後に読んだ、あるネットニュースにショックを受けた。
何故なら、いずれ自分もこの人のようになるのでは?という不安以上の、恐れに近いものを感じたからである。
記事にあった人は全盲で耳も聞こえない。ヘレンケラーと同じ状態であるそうだ。
彼女はコロナ渦の暮らしで食事もろくに取れなくなり、体を壊してしまったという。
同じ盲聾者である夫と暮らしているが、多くのヘルパーの介助を得ている。
昨年からのコロナ騒ぎで外出もままならず、他人とも会えず、次第に無気力になっていったのか、体重も激減し、気持ちもふさぎがちとなってきたらしい。
彼女を取材したレポーターの感想が述べられていた。

それを読んだ私も、光のひとすじも見えない全盲であり、かつ左の耳が難聴気味となっている。きっと高齢化によってさらに悪化すると思うが、これは医者に診てもらっても治るものではないだろう。

このような視覚障害の人たちはほどほど困っている。何しろ私たちは、触れる事で確認を取っているからだ。ソーシャルディスタンスなんか取っていたら話が通じないし、移動もできない。
私のように目が見えないだけなら、目の代わりになってくれる人の肘を掴み、一緒に歩けば問題もない。だが記事にあるような人がいたら、肘を持って一緒に歩いてもらうだけではダメで、声による会話が成り立たないのだ。

以前に聞き知った事だが、東大助教授の福島氏という盲聾者の母親が指点字と言うものを考案したそうだ。これは、手の甲を上にした盲ろう者の指を、点字タイプのキーに見立ててタッチし言葉を伝える「指点字」というコミュニケーション方法である。
これもなかなか簡単ではなさそうである。

記事の盲聾者はそれとは違う「触手話」というものを使ってコミュニケーションを図るという。盲聾者本人が手話通訳者の指や手に触れ、その形や移動のスピードで微妙な感覚を理解し合う方法らしい。

なんだか私もいずれはそういう形が必要となる気がする。
今はまだ耳が聞こえ、しゃべる事もできる。
だがさらに高齢化していくと、弱い耳がダメになっていきそうで怖い。

私が所属している障害者連合の聴覚障碍者の手話通訳者は健常者で、手話を学び活躍している。彼らとコミュニケーションを取りたいが、手話通訳のさばきが全く見えない。
私が手話を覚えて盲聾者に示したとしても、その人からのお返しの手話が理解できないのだ。ましてや触手話など、難しそうで大変だ。視覚障害者用の点字さえスラスラとは読めない私である。
今回のコロナでいろいろな事が見えてきたような気がする。我々にとって大切なものが今まで以上に複雑だという事がわかった。
対応の工夫が期待される。
Date: 2021/02/21(日) No.2090


conkoの「健康の大切さ」
今現在、病気で苦しんでいる人は日本中でどれくらいいるのだろうか。
例えば生まれてすぐの小さな体に「小児癌」という重病を負わされてほとんどを病院で暮らしている子供もいると聞く。
あるいは昏睡状態が長年続き、家族や担当医のケアを受けている人もいる。
前者は苦しい中でも生きているという自覚はある。だが後者はその自覚は持っていないと思う。暮らす環境としてどちらがハッピーか、アンハッピーか。
もちろんそれは第三者が勝手にどうこう言うものではないが。

一般的にはそこそこ健康な私たちである。何をするにも健康が第一で、仕事にせよ、遊ぶにせよ、健康でないと思う様に時を渡れない。
毎日の食事に気をつけて、適度な運動を取り入れ、気持ちもゆったりと…。
健康を保つコツはこんなものである。一見簡単そうでもなかなか…。
とかく言う私は健康体か?と訊かれると、「ノー!」である。
全盲なのはすでにお伝えしてあるが、耳鳴りは絶え間なく続いている。
見えない目なのに、しょっちゅう左から右へと“川の流れ”のように、何かの単純な模様が網目のように見えている。
加えて、最近愚痴っているイヤーワームの存在。
あと心身の疲れでジンマシンが出たりする。まだある。歯並びもメチャクチャ悪い。
だがこれらは私にとって厄介な病症ではなく、体のタイプなのだと思っている。

病院に行くと、常に医師は訪れた人を患者と見なし、医療の対象として見つめて行こうという働きが起こるのだと思う。
具合が悪い、=すぐに治すべきとして薬を処方する。
だから私たちは医師の前では常に病人なのだろう。
ちょっとくらいいつもと違う感覚が訪れても、私は病院には行かない。
行きたくない。悪いものは治したいが、ひとたび行けば、次も予約をさせられ、ほとんど「もういいですよ。あとは様子を見てみましょう。」と言われる事は少ない。
家族やガイドヘルプのサポートを、その都度頼まないといけないので、それが大きな負担となってくるのだ。家族にだって都合はあるし、気分的なものもあるだろう。
いつもいつもでは悪いじゃないか。
何をするにも健康が第一。それはわかっている。だが、そこそこであればいいとも思っている。皆さん、どう思う?

今日、友人から電話をもらった。目の具合を悪くして、一泊入院して、今家に戻ったよ、と報告してくれたのだ!よかった。
人の健康は自分のそれよりもうれしいものだ。
Date: 2021/02/20(土) No.2089


conkoの「まるで湯あがりのような気分」
今日は久しぶりに人と会い、おしゃべりができた。おかげですっきりした。まるで湯あがりのような爽快感が残った。
やはり人と会って話をして、笑い合い、建設的な話に花を咲かせるって、とても気持ちのいい事だ。もちろん、油断してクラスターの発症源となってはいけないが。

今回は合唱団の今後の流れを確認する為に、執行部のメンバーに集まってもらった。
それも以前のように、私の家に近い喫茶店を会場とし、車で来てもらった。
その店までは私も拾ってもらい、車内からさっそくおしゃべりが始まった。
私は二重のマスクで臨んだ。
店に着き、コーヒーとモーニングセットの厚切り食パンをかじりながら、黙食に努め、食べ終わったらまた二重のマスクを着けて話した。
おおまかなレジメを作って持って行ったので、まあ流れは確認できたかと思う。
じつにありがたい。よく考え、意見もしっかりと出してくれて、気がかりな点が納まっていった。後は団員に案内メールを一斉送信し、みんなの笑顔を待ち望めばよいのだ。

大切な事が決まれば後はフリートーク。
楽しいね。やはり必要なんだ。こういうおしゃべりが。
コロナの感染を気にしながら、あまり無茶をせず、楽しい事を実行していく。それでよいと思う。
何となく出かける事に罪悪感を覚えないでもないが、家にスッコンデいても何の得もないではないか。適度に、注意しながら、前に進んで行く。それでよいと思う。

今年の五輪大会は実施できるのだろうか。組織委員会の会長が新たに決まり、何となく空気も変わってきそうな気がする。
コロナ災いはそんなに簡単なものではないが、空気感が変わった事には違いない。
私たち合唱団が抱えているものも簡単には解決しないかも知れないが、今日の集まりで空気感が変わったのは間違いない。

後はなるようになるさ!と待つしかない。何事も。
さて、まだ二月。今年はどういう具合に私たちを試してくれるのだろうか。
実に楽しみである。
Date: 2021/02/19(金) No.2088

現行ログ/ [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27]
キーワードスペースで区切って複数指定可能 OR  AND
返信した方が修正・削除する場合(またはタグを効かせたい場合)
No. PASS

**HOME**
047440
[TOP] [LIST]
shiromuku(pl)DIARY version 2.70
このプログラムは上記のCGIを改造したものです。