今日の私は30代前半。娘は4、5歳頃か。まだ現役で働いていた母を私たちは駅まで迎えによく行ったものだ。 木造の駅舎で母を、娘にとってはおばあちゃんを待ち、改札口から現れる姿を見つけては飛びついて行った。 「ばあちゃーん、おかえりー!」と孫に迎えられて母はいつもうれしそうだった。 ばあちゃんと呼ぶには若すぎる。見た目も母は若かったので、それを自覚してか、少し気恥ずかしそうでもあった。母はまだ50代前半だったから。 ショートカットできりっとした姿勢のいい歩き方で、孫と手をつないで私のマンションまで一緒に付き合ってくれた。 母はマンションに着くと名残惜しそうに孫と「じゃあ、バイバイね!」と言いながら自分の家へ帰って行った。どうだろう、母の家は歩いておよそ10分くらいの距離である。 ほぼ毎日、雨が降らない限り私と幼い娘はこのお迎え散歩を日常としていた。
駅舎で待ちながら娘とおしゃべりしたり、時には歌を歌ったりしておばあちゃんを待っていた。そういう日を送りながら娘は次第におばあちゃんと会うと、うれしいが照れくさいという顔をするようになった。 私は気づかなかったが、母が「なあに?照れくさそうにして。」と、はにかんで私の隣から離れなくない孫を見てそう言ったものだった。 娘がもっと小さかった頃は文句なしにおばあちゃんとおじいちゃんが大好きで、抱っこしてもらってはご機嫌だった。 そんな孫も少しずつ成長して行ったようだ。何しろ今は春から高校に入学した息子を持つ母親となっているから。
文句なしに甘えて飛びついたあの頃から何十年と経ったのだ。 駅舎の改札口から颯爽と仕事帰りの姿を見せた母ももう高齢者となって、私の父、つまり母の夫を亡くした20年前から独りで暮らしている。 新型コロナウイルス災いで母とも十分に会えなくなっている。一緒に温泉でも行きたいね、と淋しそうに言う母が不憫でならない。 はるか昔の駅舎での思い出は尽きない。「今」は「昔」とつながっているはずなのに、切り離されたイメージしか残らないのは何故だろう。
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Date: 2021/04/04(日)
No.2162
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