*--ありんこDiary--*

ICT機器活用サークル「ありんこ」のメンバーブログです。
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conkoのセピアメモリーズ「駅舎」  2021/04/10(土)
conkoのセピアメモリーズ「駅舎」  2021/04/09(金)
conkoのセピアメモリーズ「駅舎」  2021/04/08(木)



conkoのセピアメモリーズ「駅舎」
今日の私は令和3年4月10日のconkoであります。
今月の私のブログは「駅舎」というタイトルで、かなりの昔に戻ったり、数年前の風景を描写したりして参りました。
勝手に昔や現在をワープして皆さんにお届けしてきたのです。
「駅舎」という言葉からは電車や線路がイメージされると思いますが、あえて、今日は人が集う空間という連想から違う世界を描いてみたいと思いました。

今日の私は久しぶりに大勢の人の中におりました。
昨年は新型コロナウイルス感染予防策の為にことごとく、イベントや集会が中止となり、私たちは人恋しさに苦しんでおりました。
今年に入ってもコロナウイルスは相変わらずの脅威を見せ、パワーアップしているくらいです。でもそんな中、私たちはコロナから自分たちを守る術を取り入れながらも人と会う機会を作って参りました。
それが今日の集いとなったのです。

市内に住む視覚障害者の協会の総会です。会員もかなりの人数が減り、ほとんどがボランティアグループの参加で部屋の中をにぎやかにしていました。
なかなか皆さんとは会えなかったので、そこここで言葉を交わしながら、元気な声や笑いが起きていました。私も何人かの人たちと言葉を交わし、皆さんの元気を知り、ほっとする事ができました。
それだけでも今日、参加してよかったなと思いました。

本来の視覚障害の会員は新たなメンバーが入会する事もなく、それよりも高齢の為に亡くなってしまうケースが出ているほどです。
今回は本当に久しぶりにみんなに会えて、大変うれしかったです。皆同じ思いで、互いに元気を確かめ合っては安心した笑顔になっていました。
やはり人は適度に会い、話し、笑って健康を保つ事ができるのではないでしょうか。
我々高齢者ともなると、余計にそう思います。

この組織をサポートしてくれているボランティアグループは4つあり、市の広報誌を音訳する人たち、点訳、移動のガイドヘルプ、図書館委託の音訳グループの人たちによって支えられています。
これは先代の協会の会長が立ち上げたものなのです。
そのおかげで私たち視覚障害者はどれだけ不自由さが軽減した事でしょう。
実にありがたい話です。この総会の会場への送迎もガイドヘルプのボランティアの人にやっていただきました。車中でのおしゃべりも楽しく、いろいろな刺激をその方から与えていただきました。
とてもハッピーな一日でした。♪♪
Date: 2021/04/10(土) No.2168


conkoのセピアメモリーズ「駅舎」
駅前商店街。
この言葉はもはや幻となりかけているような気がする。かつての活気はもう見られない。
これは日本中が同じような状況にあるとも聞く。
だが、私が子供の頃、あるいは若かった頃までは駅前商店街は結構活気はあったと覚えている。もちろんそれは、今のような大型スーパーやショッピングモールがこの田舎町に進出してくる以前の話だが。
商店街にはアーケードもあり、雨の日は助かった。それに小売店が軒並み続いていたので、母と買い物に出かけてもよい散歩となっていた。
各店のスタッフと軽口をたたいては買い物を楽しんでいた。それなりによい環境だったと思う。夏には毎年、三日間ほど出店を並べ、金魚すくいや綿あめを買っては盆踊りに興じていた。
それが今では人のにぎわいも太鼓の音もすっかり消え去ってしまった。
外を歩く人々ももっぱら高齢者ばかりが目立ち、子供の姿は見えなくなっている。
この現象はコロナ災いの前からである。
子供たちが外で元気に遊ぶ声も、もう聞こえない。

私の住む市はいわゆるベッドタウンで、市そのものは田畑の多い、かなり歴史の古い土地だ。だがここ自体の活気や発展はあまりなく、静かな保守的な地域と言ってよいと思う。
市の面積を東西に分け、西側には私鉄線が走り、東側には国鉄千賀それぞれ南北に走っている。私鉄沿線はそれなりの活気も見せ、乗客数もかなり上回っている。
国鉄沿線は静かなものだ。
ここ十年くらい、いやもう少し前からは都市計画で国鉄沿線にもマンションが建ち、人の動きも出てきた。
それなのに駅前商店街はかつての風景をほとんど見せていないのは何故だろうか。
静かすぎるのだ。店も後継者がいないのかシャッターを下ろしたり、店そのものを壊して一般家屋に建て直したり…。
ほとんど、人の動きが見られないのだ。
時代の移り変わりで人も変わっていくのか、あるいは人が変わっていくから、時代の風景も変わっていくのだろうか。
いずれにしても、人の活気、ワクワク感がちっとも見られなくなってしまった。
あ?それは私自身もワクワク感が失せて行ったから、そう見えるのかも知れない。
ああ、年は取りたくないもんだ!
Date: 2021/04/09(金) No.2167


conkoのセピアメモリーズ「駅舎」
現在私が住んでいるマンションに関わるお話。
この場所には昔、国鉄職員の官舎が立っていたそうだ。トイレや風呂は共同で、台所も一つしかなかったらしい。
四軒ずつ並んだ住居が南北に二列並んだ建物だったらしい。
そこには電話が置いてあり、幼かった私が県外へ出張中だった父親に電話をかける為に、一人でその官舎まで行き、電話を借りて父親と話をした事を覚えている。
官舎のおばさんに頼んで電話を借り、緊張して受話器を握りながら父としゃべった記憶が残っている。小学校の低学年児童だった頃だと思う。
受話器を握る手と鼻の下に汗をかいた事も覚えている。
あれからいつ官舎が取り壊されたのか、マンションが建設されるまでの期間は何があったのか、それはまったく知らない。

70年近くも前の事だが、新婚だった母と父がその官舎に暮らしていた事は何とも不思議な偶然である。父がまずそこに暮らしていて、母が嫁入りしたのだ。
母の実家は、今も母が住んでいる家で、つまり私や兄がそこで生まれた場所で、そこから嫁に出たのだ。
その家には母の両親、弟と妹が住んでいた。
彼らはその後しばらくしてから遠方へ引っ越して行った。母の父親が新たな仕事を始める為にだそうだ。
よって父と母はその後を家で過ごしたのだ。後に兄、そして一年後に私が生まれた。
そこに達するまでは母と父は短い間だったが、国鉄の官舎にいたのだ。まさに今私が住んでいる分譲マンションの場所に。
官舎があった頃はすぐ横を通る線路をSL機関車が走ったらしく、官舎の他の住人が「洗濯物が煤だらけになって困る!」と嘆いていたらしい。
床板も雑巾で拭くとすぐに真っ黒になってしまったらしい。
今でも私が住んでいるマンションの横は線路があり、電車が爆走していくが、煤だらけになる事は全くない。
時代が移り、人も変わり、暮らしの色合いも大きく変わっていった。
だが、国鉄からJRに変わり、駅舎も木製からモダンなコンクリートの建物に変わったが、電車が人を運び、経済を回し、市内と市外がつながっていく事には変化はない。
今でも鉄道は動いている。線路はずっとつながっている。線路は続くよ、どこまでも。
いつまでも歌っているのだ。これからもずっと。
Date: 2021/04/08(木) No.2166

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このプログラムは上記のCGIを改造したものです。