*--ありんこDiary--*

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年金減額取り消し請求裁判;陳述要旨  2018/08/05(日)
年金減額取り消せ裁判の公判に参加して  2018/08/03(金)
個人の尊厳を否定・敵視されるような世の中をいまこそ変えよう!!  2018/07/26(木)
万葉公園散策と詩人佐藤一英(第2弾)  2018/07/08(日)



年金減額取り消し請求裁判;陳述要旨
FILE 21_88_1.txt

年金減額取り消し請求裁判:弁護士さんがまとめられた陳述要旨を、私なりに要約しましたので、とり急ぎ投稿します。(左上のファイルをクリックしてください。)
この陳述要旨には、原告415名のそれぞれの陳述書が添えられていて、相当に分厚い陳述書になっています。
ぐうの音も出ないような陳述になつているがゆえに、どのような進展になるのか見ものです。
Date: 2018/08/05(日) No.88


年金減額取り消せ裁判の公判に参加して
FILE 21_87_1.txt

私は、7月30日年金減額取り消せ裁判の公判に参加しました。
感想は、上記のファイルのとおりです。
素晴しくすごい陳述要旨は、あらためて追記します。
Date: 2018/08/03(金) No.87


個人の尊厳を否定・敵視されるような世の中をいまこそ変えよう!!
わたしは、おまえなんて死んでしまえというような言動が平然とまかり通ってしまうな世の中に恐怖をおぼえます。このことを主題にした新聞あかはたの主張に同感しましたので紹介します。

障害者施設での殺傷事件(相模原事件)を乗り越える社会をいまこそ


相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者46人が殺傷された事件から今日でもう2年もたちました。
重い知的障害のある人を狙った残忍な犯行とともに、「障害者なんていなくなればいい」と殺害を正当化する元職員の身勝手きわまる異様な言動は、障害者・家族らを中心に内外に大きな衝撃を与えました。
なぜ被告が障害者を憎悪するようになったのか。差別と偏見を強める風潮の影響はないのか。2年たった今も日本社会に突きつけられた課題です。障害者をはじめ、すべての個人の人権と尊厳が保障される社会をどう実現するかが、引き続き問われます。

憎悪を募らせての凶行


被告が事件前、『障害者は不幸を作ることしかできません』などとして障害者殺害の計画を書き込み、衆院議長公邸に持参した手紙の中身は、障害者への憎悪に満ちた、あまりに特異な内容でした。被告は今もこの考えに固執しているとされています。障害者施設で働いていた被告がなぜ、障害者への憎しみを増幅させ大量殺害を実行するにいたったのか。今後開始される裁判などを通じ徹底的に解明される必要があります。
同時に、障害者や家族らが不安と危機を強めているのは、障害者をはじめ社会的な弱者や障害者への差別、偏見、排除の社会的な風潮の広がりの中で、事件が起きたことです。被告の考えは、”人は生まれながらに優劣があり、劣ったものは否定される”という『優生思想』そのものです。相模原の事件を契機に、第二次世界大戦前のナチス・ドイツが『優生思想』にもとづき障害者を計画的に殺害した過去などを想起した関係者は数多くいます。日本では戦後、優生保護法のもとで、多くの障害者が強制的に不妊手術を強いられた重大な人権侵害が、今も大きな問題になっています。政府も国会も深刻に反省し、被害者への謝罪と保障を早急に行うことが求められています。
競争をあおり、『経済的な効率性』や『成果主義』で人の価値を判断する。貧困や格差は『自己責任』と突き放す。障害者や高齢者を『社会のお荷物』と扱うー。このような現代社会の風潮は、差別と偏見、不寛容さを助長し、弱者や少数者を排除する危険を常にはらんでいます。間違った考えを流布・台頭させない社会的な取り組みこそが重要です。
自民党の杉田水脈議員がLBT(性的少数者)カップルに対し『生産性』がない『そこに税金を投入する事が果たしていいのかどうか』と月刊誌に寄稿した暴言は、個人の権利と尊厳をあからさまに否定したもので、断じて許せません。人を『生産性』うんぬんで判断する考えは、きわめて危険です。差別と偏見に満ちた悪質な寄稿を行った同議員は政治家としての資格が根本から疑われます。この発言について『いろんな人生観もある』となんの問題にもしようとしない自民党の二階俊博幹事長の態度も重大です。あいまいにすることはできません。

一人ひとりが大切にされ


社会的弱者や少数者を敵視し締め出すような社会に、未来はありません。すべての人の基本的人権や個人としての尊厳が保障され、一人ひとりが大切にされるために、憲法を生かした政治・社会の実現がいよいよ急がれます。
Date: 2018/07/26(木) No.86


万葉公園散策と詩人佐藤一英(第2弾)
前回6月12日投稿のときには、この7項は後日追加記述することをほのめかし、本日まで時は流れてしまいました。やっと書くための資料も入手できましたので、早速投稿することができました。


7.一英は、帝国憲法から新憲法発布を讃賀し9条を讃える土台になる、日本の平和主義(一文)を「少年倶楽部」に寄せていた。

  昨年萩原の戦争平和展に、新憲法発布1年前、9条を讃える土台になる一文を書いていたことが紹介され、また万葉公園菖蒲祭りにも展示紹介された。

 再録版・附資料編

雑誌「少年倶楽部 敗戦号 昭和20年8月9月合併号」   大日本雄弁会講談社

  「新しい日本の朝明けを前に −都会の父より疎開先の次郎へ」

                                    監修  佐 藤 一 英

                                    編集 田 内 雅 弘

                2016年11月3日

上記少年倶楽部 敗戦号 合併号は、1946年11月3日、日本国憲法が公布される1年前、1945年10月に出た。それまで小学校1,2年生向けの「良イ子ノ友』を読んでいた少年たちが、突然それを止めこの「少年倶楽部」を買い求めた。 表紙もなく、仮綴の粗末なものである。表紙のページには、日の丸を見上げている少年の絵があり、「仰げ日の丸 新日本の門出だ」と書かれている。そこに、平安時代の盗賊が、襲いかかろうとした貴族の吹く笛の音があまりにも美しいので刀を捨ててひれ伏したという絵が添えられていました。

歴史学者 東京大学の和田春樹教授は、語っておられた。(2017年1月24日 朝日新聞夕刊)

「人生の贈りもの 私の半生」の中で、一英の「新しい日本の朝あけをまえに」(少年倶楽部)が「僕にとっては一番最初にインプットされた平和論、平和主義ですね・・・少年倶楽部の記事が、僕にとっては戦後の平和を考える一番の手がかりになるものです。自分の生涯にわたる平和主義の原点になっていると思います。述べておられた。

また、教授の著書『ある戦後精神の形成』の、一英の文章を折に触れ読み返して影響を受けたと書かれている。

一英の書き出し文(新しい日本の朝明けを前に)



筆者佐藤一英は、

「連合軍が東京に進駐してきたが、都民は、少しもとりみだしたところはない」書き出し、焼け跡のなかでこおろぎのなく音を聞きながら、父や子を失った人の心中を思いやって、「遠々大祖神」と祈っている。

そして、息子に「平和日本を新しくうち立てるために、涙をふるって進まねばならぬ」といい、「新しい日本は「聖(ひじりの)道」を進むべきだと言って、「このひじりに道が大切なことは、この道は世界に通ずる道だからである。ほんとうの世界平和は、 ひじりの道によらなければできない。日本人は戦いに破れた。そして今までのことを深くふりかえっている。次郎、やがては、世界の人も武器を収めるであろう。それで始めて、平和な世界ができるのだ。次郎、考えてみれば、これは楽しい大事業ではないか。日本はいさぎよく武器を手ばなした。武器はいらぬ。それについては、「ひじりの道」をまっすぐ歩いていくことだ。 

これによって、世界の人も武器のいらないことを知らせるのだ。いや、ともどもに神にささげるのだ。大きな事業ではないか。楽しい仕事ではないか。これは日本人の真の姿に変えることだ。
ここではっきりと戦争に負けた日本のこれからの道は非武装の道だということが打ち出されている。
佐藤(一英)が進むべき非武装の道を「ひじりの道」とよんだのは、この人の神道的イデオロギーからくるのだが、盗賊袴垂れと笛の主の話と結び付けて、武器を捨てて、平和の道を行こうと呼びかけたのは、日本の伝統に結びついたのである。

この呼びかけは多くの人の受けうるものであった。私の心にもそれが響いたのである。
これからは武器を捨てて生きようという気持ちには、戦争に負けた日本人の自然の感情が反映していた。
軍隊がよその国に出かけて言って戦争をして、その結果、自分の国が空襲を受け、焦土と化しても、迎撃する飛行機もなく、高射砲の応戦もない。軍隊によって自分達が守られているという感覚をついに持ち得なかった戦時下の本土の日本人としては、軍隊否定はごく自然な感情であった。誰か他人から押し付けられたのではなく、敗戦のなかで、自分で納得してつかんだ立場である。確かに、ここは日本国家が朝鮮人を『皇国臣民』化させ、満州国を建国し、中国本土に侵略を拡大し、『大東亜共栄圏』を作るとして、東南アジアに攻め込んだということに対する責任の意識、加害の意識は無い。その限界を含みながら、この自然な軍隊否定の感情が、日本人の戦後の出発点だったのである。

解説


戦前の日本は、満州事変(1939年9月)から45年8月の終戦までの15年間という長さにわたる統制と強制の戦時体制の下、国民は辛苦を強いられた。「お国」のために夫や息子は徴兵で戦場に借り出された。『国家総動員法』により徴用工・学徒・女子挺身隊として軍事工場や食糧増産に動員された。沖縄では多数の島民が命をうわばれた。本土も空襲により市民生活が破壊され、一夜にして貴重な家財や尊い命が失われた。太平洋戦争で310万人以上の犠牲者を出して、やっと終戦したのである。
国民は、『米英に負けた悔しさ』や『天皇陛下に申し訳ない』という思いよりも、『もう戦争はこりごりである』「二度と戦争はしたくない」『軍隊には行きたくない」というのが素直な気持ちであり、本音であった。和田氏も指摘するように『戦争に負けた日本人の自然な感情」が、日本人の戦後の出発点』になったのである。
戦時下の一英は、国策に従い「日本文学報告会」(支部会長は高村幸太郎で、ほとんどの詩人が参加)の一員として、「愛国詩」や「戦争詩」を詩作し、国民の戦意高揚に努めたが、「軍官民の腐敗と思い上がりによって、「まごころ」をもって政治が行われなくなったために悲しい結果になった。(私書年表)と一英は歎き、死することを覚悟し、8月15日、名古屋放送局まで出かけて、『終戦詔書』〔玉音放送〕を拝聴した。

一英


私も東京で死ぬつもりであったが、終戦となって、考えた。
ー私共国民の大部分は終戦直前、土にドングリの粉を混ぜたようなものを配給され食ったが、軍部が進軍ラッパのようにつかった「みいつと土とドングリ、カシの実とはどんなつながりがあるか。「みいつ」の正体をつかんでみたい、と。
そこで、東京を去り、故郷の百姓にまじって、百姓を友人とし、教師として、「みいつ」と対決することになった。
  (昭和47年「日本及び日本人」の土筆庵秀筆より)

解説


詔書の「総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケテ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサランコトヲ期スヘシ」と、第88回帝国議会開院式(9月4日)の勅語「信義ヲ世界ニ布キ平和国家ヲ確立シテ人類ノ文化ニ寄与センコトヲ冀(こいねがい)ヒを拝した一英は、日本が平和な道に進むには、」御綾威(みいつ)=皇室の威光の本来の意味を明らかにするとともに、『まことのひじりの道』に戻らなければならないとし、日本人が出直すときの古くからのやり方〔農本主義思想〕である『心のふるさと』に帰ることを決意した。

和田氏の批評


こうした一英に対して、和田氏は同書で「天皇を崇拝し、大東亜戦争を支持した人が、敗戦になったとたんにこのようにいえるということは、あまりに変わり身が早く、人間的な不誠実さを感じさせるということもある』と批判した上で
・・・ともあれ、一大変身の文書である。それを書くことは正に必死の跳躍であったはずである。当人にとっては、このような転換が苦しいものではなかったはずがない。・・・
敗戦号の『少年倶楽部』の文章は佐藤一英の生涯におけるただ一度の必死の発言であった。かれ自身はそれによっては生きられなかったのであるが、それは戦争が終わったときの日本人の心情を代弁するものであった。・・・・・
と理解をも示している。

解説


昭和21年〔1946年)、日本政府は連合国(GHQ)の指令を受け、「大日本帝国憲法」に変わる新しい『日本国憲法』を11月3日に公布し、22年5月3日に施行した。『日本国憲法』には「国際平和主義」『主権在民主義』『民主主義』の三原則が貫かれ、なかでも『平和主義』は「第九条で戦争放棄」をうたい、第1項に紛争を解決する手段として、『武力の行使を放棄する』こと。第2項に戦力は所持せず、国の交戦権は認めない』という『不戦の非武装』の立場が明記された。この『非武装』の考え方は、平和を希求する国民の素直な気持ちや願いが反映されたものであった。
戦後平和主義は憲法九条にはじまるのではなく、憲法九条以前に生まれたものなのである』・・・一英の「非武装の平和主義」論は、「当時の日本人の心情を代弁」したもので、評価されても良いのではないだろうか。

そして、「新しい日本の朝明けをまえに」の最後に一英は次のように結んでいる


最後に「つるぎ」という言葉の意味を一つだけ教えておこう。「つるぎ」は「まつり」に吊る木、吊る霊であるのだ。つるぎは、このように神にささげるものであり、みだりに人を斬るものではないのだ・・・・。
みだりに戦争をはじめるのは、にほんの「つるぎ」の精神にもとるものである。このことを日本人自身が、しっかり心にきざみつけておかねばならぬ。
言葉を正せば心も正されるのである。真実は真心とは一つである。・・・
次郎よ。
平和日本の礎は、しっかりしている。あの蟋蟀の音の中にある。この礎のうに、新しい建設の事業を堂々と始めよう。
新しい日本の朝ががまもなく明ける。明日はよい天気であるだろう。                       (おはり)

私は、

新憲法が押し付けられたものでなく、長い日本の歴史の中で培ってきたものが、土台にあることを読み取ることができました。

戦後、新日本国憲法を無視・超越して戦勝国米国に従属して政治を司った、岸内閣以来今日安倍内閣までの為政者は、日本の歴史や憲法を理解することも、国民のなかに普遍することも、その術を持ち合わせない、われら国民にとってこんな悲しいことはない。

いまこそ、昭和21年11月3日日本国憲法公布に立ち返り、憲法を私たちの生存(命)と生活に根ざし、政治を正していくことに、難しく、しんどいけど、楽しく・明るく・お任せすることなく、自ら立ち上がることが求められていることを自覚することからはじめ、出来ることから行動することが寛容ではないでしょうか。

  日 本 国 憲 法 (1947年5月3日施行)

 第二章 戦争の放棄

  第九条 

   第1項 

     日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力に 

     よる威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

   第2項

     前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これ 

    を認めない。

  第九十九条

     天皇又は摂生及び国務大臣、国会議員、公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。
Date: 2018/07/08(日) No.83

No.84 conko 2018/07/10/17:10:42
やっさん、こんにちは。conkoです。
今日の勉強会お疲れさんでした。ぶろぐもバッチリ整えられましたね。訴えたい力がみなぎっています。私達の平和を保つためには日本人一人一人が意識を縦にそろえていかないといけませんね、きっと。

No.85 ヤスの徒然日記 URL 2018/07/11/18:50:29
ヤスの徒然日記、今日追記しましたのでよろしく!!

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