もうあれから1週間経ってしまいました。早いですねぇ。 まだ、自分の中では、興奮が残っており、 思い出しては余韻に浸っております。少し裏話とか、いろいろ書いてみようかと思います。
私がこういう身体で人前に立つのには理由があります。
私はずっと普通校で、自分の障害というものに向き合うこと無く、障害者としての自覚なく育った人間で、青年期にそれが原因で大変悩んだ経験を持っています。うつも経験しました。
例えば一宮では10年以上前から、障害のある子どもたちのための服作りやファッションショーが行われていますが、出演する子ども本人よりも、親のほうに抵抗がある場合が多いという事を、以前から聞いておりました。
私は私のような思いを他の子供達に味あわせたくない、そういう気持ちで人前に立っております。 障害がある=劣る存在である、と思って欲しくない。障害があるからできない、努力したって無駄である、と諦めて欲しくない。
立つからには、「障害があるからこの程度なんだろう」と思われるようなものであってはならない、そう思います。
もちろん私は天才なんかではありません。そう思わせるには描いて描いて描きまくって獲得していくしか方法はありません。
100円ショップで、安くて大きな模造紙をしこたま買ってきまして、 2階の六畳の壁一面を全部養生シートで覆い、そこに紙を貼りまして 時間の許す限り、練習しました。 今回、物語ラストに墨を使って木の枝をダイナミックに描くのが一番の見せ所だったのですが、筆で描くと、どうしても太いところと細いところで筆を変える必要が出てきて、時間が足りなくなっていました。 どうしようかといろいろ試行錯誤しましたが、ある時ふと、「そうだ、軍手に墨を含ませて描いたらいいんじゃないか」と思いつきまして、やってみたところ、これが当たりでした。 指1本、2本、3本、手のひら全体と接触面を変えることで太さの違う線が、いとも簡単に描けました。
これにより、筆をいっさい使わない、驚きのライブアートが実現しました。 そして最後の「墨投げ」、これは、どのくらい墨を手に付けるかで、出来上がりが全然違って来てしまうため、非常にデリケートな技法です。 これも練習しました。普通に部屋でやってると部屋中墨だらけになってしまうし、紙も消費するので、風呂に入った時に、風呂の壁に向かって水を投げるという事を毎日やりました。(不思議な光景なので、あんまり想像しないで〜(^^;))
練習が重なり、手の爪の間に墨が入り込んで落ちず、まっくろけの手になっておりましたが、ここ数日でやっと薄くなって来ました。
当日は、ありんこの人も沢山来て頂き、本当に沢山のボランティアさんの助けにより、 大成功と言えるものになったこと、カズさんととても喜んでいます。 ありがとうございました。今後もがんばります。
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Date: 2017/12/17(日)
No.53
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No.55
conko
2018/01/16/10:48:18
きくちんさん、こんにちは。お邪魔しやす。 あなたのこのブログの文章に心が熱くなりました。私も同感なんです。 障害があるとどうしても人さまや家族に負担をかけてしまいます。でもそれが「負担」えだけで終わらせるのではなく、共に楽しめる、あるいは一緒にいて心地よいという関係にしたいのです。 負い目は感じたくないです。 私は家で健常者の方たちに英語を指導しています。でもそれは参加者にサポートしてもらうものも含めて現実となっているのです。そうやって25年以上が経ちました。
話は変わりますが、あなたの、軍手を使ってのアート、いつか私も体験したいです。現実には難しいでしょうが、いつかチャンスがあれば、いやチャンスは自分で作らないといけないけど、ご指導願いたいです!!
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No.56
きくちん
2018/01/16/11:24:22
conkoさん、コメントありがとうございます。私はハンディキャップという言葉が嫌いです。この言葉には「社会への負担」みたいな響きが感じられます。アメリカではこの言葉は使用しないという動きがあるそうですが、そうやって認識が変わっていくのはとても良いことだと思います。障害イコールマイナスではなく、プラスの面もある、ということを知らしめることこそ、私の使命と思っています。
軍手のアート、是非やりましょう。お教えしますよ。
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