令和に伝える戦後74年  広島の藤本安馬(93歳) 加害悔やむ         毒ガス製造「後ろめたさなかった」 広島には「加害」の歴史もあった。瀬戸内海の大久野島(広島県竹原市)は戦時中、旧日本軍の毒ガス製造の拠点だった。国際条約で使用を禁じられていた毒ガスは中国で多数の命を奪ったとされ(同島毒ガス資料館)、戦後も遺棄兵器として再び悲劇を引き起こした。工員としてその一端を担った藤本安馬さん〔93〕=同県三原市=は贖罪(しょくざい))を胸に証言する。「私は戦争によって人間の面をかぶった鬼になってしまった。」 「私は被害者である前に加害者であり、犯罪者だった」。90年代から学校などの依頼に応じて証言活動を始めた。中国も三回訪問して住民に直接謝罪した。毒ガスを作るための化学方程式は今でもそらんじて言える。「加害の証拠を忘れるわけにはいかない」から。後遺症で胃と十二指腸潰瘍を摘出し、声もかれた。だが、命ある限り証言を続ける。「日本は戦争で何をしたか。学ばねば過ちは繰り返される。私は学ぶ。鬼から人間に必ず戻って見せる。」(中日新聞8月8日) 藤本さんの真実を前にした勇気に敬意を表します。日本政府には、それがないのが残念で悔しい。