若い頃の趣味のひとつは、名庭園を観て歩くことだった。土曜日になると、 名古屋発の準急「比叡」に飛び乗り京都のお寺に通っていた。 多くの寺院の庭を拝観する内に、いつしか奉ってある仏様に魅せられる様になった。 仏教や仏像関係の本を紐解く内に出合ったのが、仏師西村公朝師である。
同師は東京芸術大学 彫刻科を卒業後、美術院国宝修理所に入所、仏像修理の道に入られた。 京都・三十三間堂の十一面千手観音像の修理等、多くの古仏修復に携わってこられた。 同師の講演を聴いたり何冊かの著書を読むにつれ、益々傾倒して行った。 同師の解説書を携え、京都や奈良、近江の古寺を訪ね歩いたのは、懐かしい思い出である。 晩年に得度、天台宗の僧侶となられた。その後京都・愛宕念仏寺(愛宕寺)の住職になられ、 同寺の復興に当たっておられた。
二十数年前のある晩秋の土曜日、一人念仏寺を訪れた。境内に並んでいる千二百羅漢を拝むためだった。 苔むした石像羅漢群は圧巻だったが、思いがけない観音さまに出逢う事になった。 境内を上ると小さな観音堂が有り、青銅製の小ぶりな観音座像が微笑んでおられる。 通常仏様は高さ1メートル程の須弥壇と蓮華台上にあり、合掌し見上げながら視線を合わせ拝む様になっている。しかしこの観音さまは床上に直接安置され、誰もが触りながら拝むことができる。 こんな観音さまはこれまで見た事がなく、不思議に思い周りを見回したところ、 小さな説明文が掲げてあった。 「日本には幾千体もの観音さまがおられるが、目の不自由な人が触って拝める像は一体もない」 「目の不自由な人たちが心の目と手で仏に触れ、縁を結んでもらうために造りました」と記されていた。 これを読んだ時胸に迫るものがあり、恥ずかしながら涙が止まらなかった。 定年後は「目の不自由な方のお役に立とう!」と、この時密かに決意した。 天から与えられた使命「天命の気づきと覚悟」が定まった、観音さまとの運命の出逢いであった。 そして今「ありんこ」での障がい者支援は、19年目を迎えている。
ふれ愛観音さまのレプリカは全国60カ所に奉られているが、一宮市では丹陽町の長福寺観音堂で ご縁を結んで頂ける。 以上
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Date: 2017/07/01(土)
No.25
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